トリスのメモ帳(57) ちょこっとメモ集『虹ヶ咲のサントラがヤバい』『大切な音、それぞれの勇気』他
こんにちは、トリスです。
来ました、3話
中川、菜々、せつ菜、回が
胸が、着火、ON FIRE(唐突なラップ)
と言うわけで、激アツな3話が放送されたので今日もぼやっと語りたいポイントをさらいながらショート記事集として見ていこうと思います。
いつも通りに私の感情が振り回されるサマをそのまま言葉にして叫ぶだけの情緒ルーラ記事ですが、ぜひ最後までお付き合いください。
①後輩が泣かすから視界かすみました
本当にもう、ここからまず語りたいんですけど、かすみの話からして良いですか。
今回の話の中心はせつ菜なんですけど、正直彼女のことはオタクだったら彼女が生まれる前から知ってるぐらいの感覚があって。大好きの擬人化ならずっと私たちと生きてきた幼馴染みたいなものだと思います。今さら言うことないです。あるよ。
まぁ、メインディッシュは後に回して、後輩に涙腺1発喰らわされた話でもしましょう。
2話を経たことで、自分と違うせつ菜を認めた上で必要だと言えた中須後輩。
せつ菜先輩は絶対必要です!
確かに、厳しすぎたところもありましたけど…
今はちょっとだけ気持ちが分かる気がするんですよ
まだ3話なのに、もう成長見えるのが嬉しい。
これ前回の歩夢もなんですけど、スクールアイドルとして一歩踏み出す個人回の後で成長を表に出してくれることがめちゃめちゃ嬉しいんです。
メンバーが見せる勇気・決意が個人回にあるなら、その次の回で成長が見えるのは最高の実感。
ってだけの話じゃなくて…
②虹ヶ咲のサントラがヤバい
いや、私がこれを語り始めると『お前そもそもサントラ自体が好きなだけだろ』って思われそうなんですけど、このタイトルの回なので私も正直に大好きを叫ぼうと思います。
1話から劇伴めっちゃ良いなとは思ってたんですが、物語が進むと既に使ったサントラの再利用が出てさらに強くなるんですよね。
今回特にヤバいと思ったのは2箇所で、まずはかすみが視聴者を泣かすとこ。
前の繰り返しになるのは嫌ですけど、
きっとそうじゃないやり方もあるはずで…それを見つけるには、かすみんと全然違うせつ菜先輩が居てくれないとダメなんだと思うんです!
ここのタイミングで入ってくるサントラ。
どこかで聞き覚えがあるな〜と思ったんですけど、それもそのはず。
……これって番宣PVの開幕で使ってたサントラですよね。
生まれたトキメキ
あの日から世界は…
もはや親の声より聞いたサントラなんですけど、アニメ内ではまだ使ってなくて。
『後輩が成長したところを見せつけながら、後ろから1番最初のサントラご本人登場〜!お待たせ〜!』みたいな流れがめちゃめちゃ面白いです。
青春モノらしさを強く感じました。
果林が最初指を舐めてるとこ(語弊アリ)から流れ始めて『あれ?これもしかしてPVで流れてた奴では…?』ってなってから、爆弾ゲームの要領で誰のセリフでサビが来るのかと思ってて。
膨らむ期待と進む展開、この付け方考えた人は天才じゃなく変態。
侑→エマ→彼方の順で落ち着いて進んで、しずくで来るかと思ったら『まだ行かない!』って焦らされて、中須後輩で爆発。
サントラ面白い〜!!
ってなりましたね。遠藤さんにBig Up。
本当にサントラ目線でここ見返して欲しい…
かすみの『かすみんもそう思います!』のサビとの完全一致感がクセになります。
そして。
次は、もう片方の私が食らったサントラシーンを見ていきましょう
③大切な音、それぞれの勇気
もう1個の今回サントラで刺されたシーンは、侑とせつ菜の会話シーンです。
もう説明不要。
最高のサントラでしたね。
イントロ流れた瞬間に誰もが気付いて死を確信したと思うんですけど、これって1話ラストの歩夢の告白シーンで流れてたサントラですよね。
で。
1話の時もヤバすぎて、椅子から前逆宙返り3回半抱え型しながら転げ落ちたんですけど、何がヤバいってやっぱこれですよね。
サントラを複数回使うことによるシーン同士のリンク
アニメの中でふたつのシーンが繋がることって当然沢山あると思うんですけど、それってシチュエーション・セリフ・場所だけじゃなく、現実じゃなくアニメだからこその『流れてるサントラ』って要素によっても作られるんですよね。
で、今回1番感動したのはせつ菜が自分の言葉を侑にぶつけて心を開いていくシーン。
私の本当のワガママを、大好きを貫いても良いんですか?
もちろん!
そして目を閉じて、せつ菜が自分自身を肯定する瞬間。
ここの音、1話の使い方だと一瞬止めていたんですね。
(元はせつ菜から貰った)大好きを肯定するスタンスを侑が見せるこの瞬間。
1話では、同じようにせつ菜から受け取った熱を、歩夢が勇気を出して言葉にしてみせたシーンでした。
私……好きなの!
サントラの魅力は音を止めた瞬間の無音にもある。
あの使い方を最初に見ていたからこそ、今回の止めずに進む音の中で。
目を閉じただけのせつ菜がどれだけ大きなものを受け取ったのかが……あの一瞬に詰め込まれた想いが、私たちにも伝わってくるんですね。
あと、ふたつのシーンがどちらも1話のCHASE!から繋がったスタートラインなのが、なんというかとても嬉しくて。
きっと色んな想いが絡まって正しさを見失いかけたせつ菜が思い出したのも『はじまりのトキメキ』だったはず。
だからあの時の侑の言葉を、私たちの心も素直に受け取れたんですね。
誰かに伝わる純粋なトキメキ。
それがあれば、どんなステージでもスクールアイドルは『最高』なんです。
生まれたトキメキ
あの日から世界は…変わり始めたんだ!
④受信力と発信力、璃奈とせつ菜
えーっと、ここまで少しばかり長く書きすぎたのでさらっと行きます。
璃奈の話です。(唐突)
璃奈のテーマって『感情の送受信』ってのがあると思っていて、コミュニケーションってまとめてしまっても良いんですけど、初期ステから璃奈は『感情の受信力』は高いと思うので、分けて考えます。
スクールアイドルを通じて璃奈が大切にしているのは感情の発信力で、そこに関して愛さんに憧れる部分ももしかしたらあるのかも知れません。
でも愛さんの特徴として『受信力も高い』ってのがあると思って、だから璃奈を見つけて仲良く出来て今があるんじゃないかな、と。
で、私のイメージだとせつ菜の『お互いの大好きを出す世界』ってのは、璃奈の理想に近いところがあって。(ドッジボールとキャッチボールみたいな差)
だから今回のはんぺんのシーンで、せつ菜が璃奈と目線を合わせて、彼女とはんぺんの大好きをしっかり受信しているシーンでグッときましたね。
優木せつ菜としてのスクールアイドル活動を辞めたはずなのに、発信力に蓋をしても誰かの大好きは受信する。
そんな彼女だから侑の言葉も届いたはずです。
⑤最後に
はい。
というわけでちょっと早いんですけど、今日は一旦ここらへんで……って既に普通に文字数書いちゃってますね。
軽く説明すると、この後にもう1個文章があって、それが今回の記事で一番最初に書いたものなんですけど、長いし個人的なので後に回したんです。
そのぶん前半は短くするつもりだったのに結局熱くなってしまいましたね。
この先については。
個人的に言葉にしたいだけの感情で、3話の感想として直接は関係ないのでおまけとして、お時間が余ってる方のみお進みください。
ここで一旦〆させていただきます。
それでは、とりあえず今回はここらへんで。
最後までお読みいただきありがとうございました。
また、次の記事でお会いしましょう。
⑥大好きを叫ぶ(自分にとってのブログ)
いや、もう全部なんですけど。
虹ヶ咲アニメの話って、もうほぼオタクの実体験からサンプリングしてますよね。
今回のせつ菜の話で主軸にあった「自分の大好きと、他人の大好きを両方大事にする」ってのはオタクなら誰しも考えているところなんじゃないかな、と。
良いアニメって『人間として共感出来る感情』を突き刺してくるものだと思うんですけど、虹ヶ咲っていう物語の根底に「それぞれが一番大切にしているものの追いかけ方」みたいなテーマがあるから、、共感が『人間として』から『オタクとして』に切り替わる場面が多いんです。
だから、虹ヶ咲の感想を正直にブログに書こうと思ったら自分語りから入る以外の選択肢が無いんですよね。
なので、自分語りいきます。
※ここから先の話は全部気持ち的には太字なのでもうフォント変えません。
個人的な話なんで復帰してからトリメモに詳しく書いたことはなかったんですが、2年ちょっとぐらい前に一度ブログを書くのを辞めていた時があってですね。
理由は『自分がラブライブ!を好きなのは間違いないのに、それを楽しいと思う感情を見失っちゃったから』ってのが一番大きくて、でもその裏にもうひとつ抱えてた小さな想いがあって。
(これは言葉にしにくいので、誤解されるのは仕方ないと割り切って言いますが)大好きを形にすることのマウントの取り合いみたいのにどこかで巻き込まれているような感覚に疲れちゃったんですね。
元々私は感想を一切喋らないタイプの人間だったのが「Aqoursを追いかける上で言葉にすることが手段として必要だ!」みたいな気持ちで、楽しむための手段・スキルとして感想を言葉にし始めたんですね。(それが今は書くこと自体が楽しいからやってるわけなんですけども)
でも、2年ちょっと前には(自分自身で楽しいと言い切れない精神状態だった上に)楽しさのために見つける言葉が、見た誰か自身の好きを否定してしまうんじゃないかみたいな不安がトリメモにあってですね……何様なんだって話なんですが。
いやでも、この不安はその時の自分をそれより数年前の自分が見た時のことを想像しての話なので、徹頭徹尾トリスしか登場人物は居ません。
自分が周りを気にせず書いたとしても、見た誰かがマウント取られたみたいにどこかで感じたら悔しいし、推しの話なら尚更です。
例えば今の私は、自分がブログを書くことしか出来ないからセリフを拾ったりして宮下愛さんを見つめますけど、それが唯一正しいわけじゃなくて。
むしろ見た人に『宮下愛は理論的に捉えないといけない(面倒臭いファンがついてる)キャラクターなんだ』って思われたら、それは推すことから1番遠い行動ということになります。これは全然楽しくない。でも書くことは楽しい。この矛盾はせつ菜が抱えていたものと同種だと思います。
理解とか、言葉とか、考察とか
大事なんですけど、もっと別に大切なものがあるから価値が生まれると思うんです。ここらへんは『お金』に例えると分かりやすいかも。お金より大切なものがもし無かったら、何も買えないからそれも無価値じゃないですか。
大前提として「好きだから知りたい」は(これも微妙にイコールでは無いにしても)頷けるんですけど、「知ってるから好きだ」「分かってるから好きだ」って理論には私は首を縦にふれないんです。これは「金持ちの方が幸福」ぐらいの暴論。理由なんかなくても好きなもんは好きなんですよ。伝わらなくたって想いはそこにあるはず。
まぁ、そんなぐちゃぐちゃした精神状態から18年11月のライブでなんか色々あって(気になった人は#LOG_bookで調べてください)1年ぐらいかけて「楽しさ」ってなんなのか自分で見つめ直して今年頭にトリメモに復帰したみたいなスタンスですね。やりたいことだけ、やるだけ。
……で、長くなったんですけど。
だから、そもそもせつ菜の抱えるモノに対してはオタクとしてめちゃめちゃ共感出来ますし。
でも自分が一番大事にしたいことは「楽しい」っていうスタートラインの感情だと思った先で虹ヶ咲に心からハマったので、推しは宮下愛さんなんですけど……その大好きのスタンスはきっとせつ菜と気が合うところなんですよね。私は私自身の大好きを叫びます。
と言うわけで、せつ菜が自分自身を肯定出来て本当に良かったです。
私の体験から来る「理由」は、本当の意味で誰かと共有は出来ないけど、きっとこれを読んでいる貴方にも貴方自身の体験から来るせつ菜への共感があると思えるので、その人しか知らない理由を認め合うことが、お互いの大好きを大切にすることの第一歩なんじゃないかなって思います。
長い~!(これでも端折った)
皆がそれぞれに自分の〝好き〟の道の上を走っているんだと気づいて、千歌ちゃんだけじゃなく他の誰もに共感するようになっていきました。
いや、それは出来なかったかもしれませんが、それでも否定しない道を歩く努力をしてきたと自分では思っています。
トリスのメモ帳(49) やっと青春の始まり! この快感をあげたい! - トリスのメモ帳
次回、『未知なるミチ』
宮下愛さんの個人回と言うことで。
人生で一番大事な回かもしれないと言うことで。
まずは気合入れて、24分間を最高に楽しみます。
その先で、またそれぞれの大好きを叫んで楽しみましょうね。