トリスのメモ帳(67) ちょこっとメモ集『ラブライブ!だけが、ラブライブ!じゃない』他

こんにちは、トリスです。
 

あけましておめでとうございます~。

今年もブログ更新していくのでよろしくお願いしますね。

さて、去年の暮れに放送された虹ヶ咲アニメ最終話の感想がまだだったので、年を跨いだこのタイミングで見ていきたいと思います。

今回はかなり色々と語りたいことがありますが、物語全体のガッツリまとめとしての記事はまたいずれ書くとして、とりあえずショート記事でポイントごとに見ていこうと思います。

ぜひ最後までお付き合いください。

 

 

①虹ヶ咲全体について

 

虹ヶ咲アニメ全体のテーマについて、少しだけ語らせてください。

それぞれが大切にしている価値観を体現するスクールアイドルが虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会だと思うんですけど、アニメについてのテーマはここで辿り着いたのは『物語』ではなく『場所』だったんだと思います。


みんなで叶える物語じゃなく、みんなの夢を叶える場所。

そして物語には主人公が居るけれど、場所には中心が無いんですよね。あるいは正確に言うなら全員が中心・主人公である場所。

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だから13話の開幕シーンでめちゃめちゃ喰らった。
 

明らかに学生じゃない大人の女性が落ちていく花びらを見てステージに気づくこと。

落ちていく花びらはスクールアイドルと言う時間の有限性を表すモチーフなので、これまでは今いる場所の刹那性を実感する切ないものだったんですけど、このシーンだけは逆な感じがして

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青春をもう一度呼び起こすようなモチーフとして出てくる花びら。

私とかは社会人なので、こう言うシーンがあることで『みんなの夢を叶える場所』の『みんな』の範囲の広さを感じられて嬉しかったんですよね。

ラブライブ!は2度目の青春みたいなコンテンツ。

そしてこのシーン以外にも明らかに学生じゃない女性が多く映っていました。

このお祭りは本当に『みんな』のものなんだと実感しました。

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②それぞれの背景

 

今回はスクールアイドルフェスティバルってひとつのお祭りを楽しむ回だったんですけど、その裏にそれぞれが大事にしているものとかここまで積み上げてきた物語が回収されまくってたのが最高でしたね。

愛さんのもんじゃ焼き屋台とかもなんですけど、果林の撮影タイムも最高でした。

モデルとしてやってきた彼女がそれを否定するんじゃなく、それも武器としてこの場所でみんなと楽しんでいることが。

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あとその後のエマ登場後に女子2人に果林が話しかけるとこがズルかったですね。


今回の歩夢→侑の手を引くとことかもそうなんですけど、ラブライブ!シリーズ的に『貰った勇気と言葉をリフレイン的に返す瞬間がエモい』ってのは間違いないんですけど、エマが果林にかけた言葉がエマに返されるんじゃなくてその外側に広がっていくのが良い。

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外に広がっていく言葉は、虹ヶ咲のトキメキを届けるスタンスとガッチリ噛み合っていました。最高。

 

③璃奈の成長

 

愛さんと璃奈のシーンはすごく大きな意味がありましたよね。視聴者の情緒崩壊。

アニメ内においても他以上に深い関係だった2人ですが、フェス当日の機材トラブルって場面で璃奈が愛さんをサポートした時に愛さんがただ笑って頭を撫でるだけなのが良かったです。

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ここのシーンは色んな受け取り方が出来ると思うんですけど、一番大事なのは『2人の間ではこれだけで気持ちが繋がっていること』だと思うんですね。何が伝わってるかより、伝わってること自体が重要。

そして、璃奈がボードを作る前から気持ちを繋げて接していた愛さんだからこそ、璃奈ちゃんボード『テレテレ』が、もうただ照れてる顔を隠すために使われているのが最高でした。

愛さんに対してだけは、璃奈が照れていることはボードを使わない方が伝わってしまうからこそ、そこを表情を見せるためじゃなく隠すために使うボードってのがいつもと違うんですよね。

 

あと個人的に良いなと思ったのはラストシーン。

12話冒頭では悩んでいる歩夢に声をかけたのは愛さんだったんですけど、今回のラストシーンでは璃奈がその表情の変化に気付いて声をかけているんです。

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それがなんか対比と言うか、キモチの受信力が成長している感じがあって嬉しかったんです。

 

ラブライブ!だけが、ラブライブ!じゃない

 

今回のアニメで重要な立ち位置だった高咲侑について喋りたいんですけど、この『重要な立ち位置』ってのは必ずしも主人公を差しているわけではなくて。

上で喋ったことと被るんですけど、虹ヶ咲ってアニメは『主人公は居ない』『全員が主人公』の2パターンの見方が出来て、どちらにしても現実に近い平等でリアルな世界観なんですよね。

そして、これは私がラブライブ!シリーズで今まで学んできたことのひとつなんですけど。

コンテンツでものすごい感動を受ける瞬間って、公式から用意された感動とは別のところにも発生する時がありませんか?

それは広い範囲で言っちゃえばμ’sのスノハレとか、Aqoursの虹とかもそうなんですけど、もっと個人的な何か……例えば自分が初めて好きになった楽曲を最初から追いかけてきた友人と連番するライブのタイミングでやってくれたとかそんなレベル感で良いんです。

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なので、ラブライブ!の面白さってラブライブ!として用意されたモノじゃない部分にあるってのは自分にとっての体験談なんですよね。

具体的に言うなら加藤達也さんが来たドームライブとかの話になっちゃうんですけど、誰にでもそういう個人的な何かがあるはず。

それで言うと、虹ヶ咲の話ってそれをめちゃめちゃメインに出していたな~と思って。

だってラブライブ!だけのラブライブ!で良いんだったら、バスケ部も流しそうめん同好会も関係ないじゃないですか。
さっき触れた大人女性も、歩夢を見ていた幼女も。

 

と言うか私が今話しているモノの中では『ラブライブ!の影響で○○を始めた』みたいな話題がかなりメジャーな例としてあるので、高咲侑がまさしくそれなんですよね。

彼女はラブライブ!(スクールアイドル)ではないけど、ラブライブ!(みんなで叶える物語)の内側に居る。

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そして、虹ヶ咲ってコンテンツ自体がラブライブ!シリーズの中では中心的な部分じゃなくて余白を埋めるような物語の展開の仕方だったからなおさらそう思うんですよね。

μ’sがX軸、AqoursがY軸、残りの面は全部虹ヶ咲、みたいな。(これで言うとLiella!のZ軸もめちゃめちゃ意味ある)

 


プラスで。

自分がやっているようなこと全てがラブライブ!の中心王道まんなかの楽しみ方からちょっと逸れている感覚があるので、ブログにしろ何にしろ、この物語で肯定された気がしたんですよね。

ラブライブ!じゃないラブライブ!』を肯定したらこのシリーズはもっと広がっていけるはず。

だから高咲侑って人間が『あなた』になっていくこのワンクールをすごく大事に思いました。

 

⑤最後に

 

はい、と言うわけで。

 最終話の感想をあっさり語ってみましたが、全然語り足りない……と言うか細かい好きポイントが多すぎてうまく纏まらないですね。

最後の挨拶のとこ含めたかすみの自称新部長としての立派さとかあそこで流れているサントラの名前がどうやら「大好き!!!」らしい事とか、本当に最高な回でした。

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キャラクターに関するポイントや楽曲に関するポイントは今後もブログを書いていくと思うので、そこでまた触れられたら良いですかね。2021年も楽しくなるぞ~。

そんな感じで今年も虹ヶ咲も他グループも全力で楽しみたいと思います。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

それでは、また次の記事でお会いしましょう。